2014年 04月 26日
1940年入口と出口。 |
なんの事か?
先日知った事、1941年生まれの建築家 永田昌民の死去。
昨年12月14日に他界された事を、自分にとって最も好きな建築家の死はショックだ。
永田さんにとって師匠の吉村順三の流れを読み取る事の出来る建築家でした。
彼を知ったのは約25年前、前職のハウスメーカーの仕事で金沢市内の彼の作品に遭遇した時。

コンクリート打放3階建ての住居に訪問し、和室に案内され時の事を鮮明に記憶している。
旧市内のプランらしく、建物のファサードは閉鎖的な物。
経年変化のコンクリートが町並みに馴染んで、二階のベランダから樹木の葉が風にゆられていた。
通された和室の天井高の低さ、ぷん〜と香る杉の造作材。
それ以来常に彼の作品を意識していたし、新しい作品を楽しみにしていた。
決して過剰なデザインなどなく、常に自然体で「引きと、たまり」を感じられるものでした。
住宅作家として活躍されていたが、ある対談のコメントに美術館などを手がけて見たいと言っていた。
私も是非彼の設計による美術館を見てみたかったのだが、早すぎる死は残念でしょうがない。
宮脇檀、永田昌民と大好きな人が亡くなっていく、40年代の入口生まれの永田さん。
そして出口49年の自分、何かを感ずる。
心からご冥福を祈りします。
先日知った事、1941年生まれの建築家 永田昌民の死去。
昨年12月14日に他界された事を、自分にとって最も好きな建築家の死はショックだ。
永田さんにとって師匠の吉村順三の流れを読み取る事の出来る建築家でした。
彼を知ったのは約25年前、前職のハウスメーカーの仕事で金沢市内の彼の作品に遭遇した時。

コンクリート打放3階建ての住居に訪問し、和室に案内され時の事を鮮明に記憶している。
旧市内のプランらしく、建物のファサードは閉鎖的な物。
経年変化のコンクリートが町並みに馴染んで、二階のベランダから樹木の葉が風にゆられていた。
通された和室の天井高の低さ、ぷん〜と香る杉の造作材。
それ以来常に彼の作品を意識していたし、新しい作品を楽しみにしていた。
決して過剰なデザインなどなく、常に自然体で「引きと、たまり」を感じられるものでした。
住宅作家として活躍されていたが、ある対談のコメントに美術館などを手がけて見たいと言っていた。
私も是非彼の設計による美術館を見てみたかったのだが、早すぎる死は残念でしょうがない。
宮脇檀、永田昌民と大好きな人が亡くなっていく、40年代の入口生まれの永田さん。
そして出口49年の自分、何かを感ずる。
心からご冥福を祈りします。
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by kenchikukeikaku
| 2014-04-26 12:47